老後施設に入居している84歳の女性の話です。
普段は私は幸せよと言っている84歳のご婦人が本音というべきことを吐露してくれました。
やっぱり家族の元がいい。
それは夫が健在の場合を想定してのことらしい。
今の家族と言ったって、夫は亡くなったのだから子供との家族ということになります。
こども家族と一緒にいるのは遠慮というものが出てくるもの。
だからそんな神経を使うなら施設に入るということを選んだのです。
どっちが良かったんだか?
頭がクリアなこの女性の話と自分の将来を重ねてっしまって晩年はやはり寂しく孤独になる場合も少なくないと実感したのでした。
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施設に入居して幸せだったか?
半年くらい前から施設に入居して暮らし始めた84歳の女性。
こちらに来る前は息子夫婦と同居してました。
ある時、体が思うように動けなくなってそれから車いす生活です。
息子は嫁さんの言うことを聞いて、自分の思うようにはいかないとのことでした。
食事もお嫁さんに遠慮して自分だけお弁当を取る生活。
それに関して息子さんはしょうがないね、おばぁさんの分まで作るのは食の好みも違うし、お弁当でいいんじゃない?
息子家族はお嫁さんの作った手料理で団らん、この女性は一人でお弁当を食べながら寂しい、悲しいと心の中で泣いていたようです。
それを聞いた別所帯の娘はお母さんがかわいそう。
でも娘はお母さんを引き取ることが物理的に無理。
そうなると、家で息子夫婦と疎外感を感じながら家にいるよりは、食事の心配もなく、洗濯もしてくれて安否確認もしてくれるという施設に入ることを選択したのです。
今も、このまま死を待つだけのこの施設。
おひとり様でも施設に行かなくても大丈夫な場合も?misapon.hatenablog.com
自由はないし、辛いけど、これがさだめというものなのかと、観念しているようでした。
10年前まで高速を飛ばして、化粧して出かけてという暮らしが一転。
数か月前幸せよと言っていたあの言葉と裏腹に、「施設に入ることは見捨てられたようで寂しいわよ」と吐露したのは本音かもしれない。
車いすでも一人暮らししている人もいる。
車いすで食事を作り、洗濯をし、普通に家事をこなしているご夫人もいる。
でも思うに、夜になればご主人が帰ってくるからの安心感。
夜はいつもご主人と隣り合わせのベッド。
そういったよりどころがあるからこそ家で生活できるのかもしれない。
味方をしてくれる家族。
これは大事。
施設入居している人と、通いの人の幸せ度の違い
日中だけ家から施設に通って施設内のディサービスというところに来ている人もいます。
家に帰れば子供夫婦、孫がいて明るい家庭。
家に帰れば一人、だけど家では自活出来ている高齢者。
ずっと施設に入居している人とどっちが幸せか?
お金があるなら施設に入居したいと思う人も多いと思います。
もちろん、安心安全。
でもやりたいことを自由にできない。
何か欲しいとなっても自分で買いに行ける人もいるけど、大半はスタッフに頼むことになります。
でもそう簡単にはいかない。
介護点数の問題。
買い物1回いくらかかるとか、スタッフに時間がないと無理だし。
愛情深い家族がいる人は定期的に個室に入り、何か必要なものはないかチェックしほしいものはないかと施設に入居している身内に聞いて帰ります。
そういったことがどれだけ幸せなことか。
家族がいても全く来れない人もいます。
寂しそうと思う前に、もう諦めなのかもしれないと私は感じています。
家族が来ないかな、パン買ってきてほしいな。
顔を見せに来てほしいな。
そう思っている高齢者も少なくないです。
入居している親施設から連れ出し食事に連れていく子供もいます。
なんて幸せなんだろう。
家にいて、週に数日、施設で過ごす高齢者。
家に帰れば邪けんにされず、愛にあふれた環境の高齢者は幸せそのもの。
孫が可愛くて、ひ孫もいるんだ、みんな私のところに抱っこ抱っこってくるの。
そんなことを言うと、施設にいる人がかわいそうじゃない?
と思うほど脳はそこまで回らない。
20年後の将来は私はどうしているんだろう!
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