老老介護はいつからなのか調べてみたら、老老介護している場合の子供は65歳でした。
84歳と86歳の両親は健康寿命な体ではないから、60歳の私はしんどい。
何がしんどいかと言うと、何件もの病院の付き添い。
あぁ、これが老老介護の現実か?
自由がない。
老後のお金を貯めるための働く時間も削られてしまうから、ついついイライラ。
でも親子だし、産んで育ててくれたし寿命を全うしてくれるまで最後の親孝行です。
親が生きていてくれるのは幸せなのだと自分に言い聞かせる
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親が若い時、特に父親はとても厳しく封建的でした。
親の言うことを聞け!
逆らおうものなら、もう大変。
子供は親の言うことを聞くもんだ!
そんな親が大嫌いでした。
友人の親は優しく、ニコニコしているのになんでうちの親は子供の私たちに冷たく厳しいんだろうと。
だから私は動物ではないけど、親になつきませんでした。
厳しい父親、母親も同じように親の言うことを聞け!
という、今でいう毒母。
そんな母親は今や認知症。
認知症でありながら、威張ってます。
同じことを何度も言ったり、もうしょうがないなぁて感じです。
少しでも何か違うでしょ?
と言うと飲み物が入ったマグカップが飛んできます。
認知症なんだか、わがままなんだか・・・
でも、この世にいなくなったらきっと寂しくなるのかなって思って許すようにしてます。
私の年齢ですでに両親が他界した人、片親がなくなった人が多い中、両親がいるってことは大変だけど幸せなんだ。
親孝行ができると気づけている今の私がいる!
死んだときに親孝行できなかったと悲しむよりも、今出来ることをしておけば悔いはないのかなと。
そう思わなきゃ、正直なこと言うと爆発しそう!
親が亡くなってホッとしたという友人が何人もいた
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私の友人はすでに親を亡くした人が多いですが、なくなってホッとしたという人がほぼ100%。
それは病気や老衰も同じことですが、それだけ介護やらお世話で心身ともに疲れてたということ。
もう出来るだけのことはやったし、ここまで生きたから十分だと思うなど等。
親が亡くなって悲しむよりもホッとしたという気持ちはわからないでもないですが、切ない気持ちにもなります。
私は昨年ペットを亡くしたから余計にそう感じるのかもしれませんが。
時々妹と「いくつまで生きるんだろうね~、100歳まで生きるなんて勘弁してほしいよね~。あと10年生きちゃうのかなぁ。自由がないよ~」
なんて話してます。
冗談ちょっぴりの半分本気?
子供がいなかったら誰が介護するのだろうという疑問
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今私たち姉妹は両親の介護を二人でみています。
私は父親担当という感じ。
耳が全くダメで、病院の付き添いは必ず付いていきます。
行く科がこれ以上増えないでくれ~って感じ。
子供がいるからいいけど、子供がいない人も世の中たくさんいますがどうされているのか疑問。
聞くと、他人で介護ヘルパーさんの人は付き添いは診察の部屋まではついてきてはくれないそうです。
認知の人や耳が聞こえない人、理解能力がない人はどうするのかとふと考えてしまいました。
私が年をとったらなるべく自分一人で何とかしようと思っているけど、何とかなるのだろうか?
子供が二人いますが、子供には頼らないでいたいし。
親は子供に面倒を見てもらうのはあたり前と思っています。
その考えは違うよ~!!
昔の人の考え方だからなのか、その性格がそうしているのかわかりませんが。
老老介護に近い年齢になった私ですが、そんな介護をしてストレスがたまると娘に愚痴を言ってしまってダメな母親だなぁと反省もするのです。
年をとった時にいろんな病気を抱えてたら、本当に大変。
自力で病院に行かなくてはならないのです。
サービス付き高齢者住宅に入ったって、医者にかかるには自力で行かなきゃいけません。
そんな時一人で病院に行ける人はあまりいない・・・
やはりほとんど誰かの手助けが必要なんですよね。
身内の誰かが病院に連れていくことになります。
あまりにもいろんな病院にお世話になると、連れていく人の自由が狭まってしまうんです。
だからなるべくかかる科は少なくしておかないと本人も連れていく人も大変。
老人ホームと病院は別個の問題。
健康は死ぬまで維持しておかないととつくづく思いました。